ボーダーライン

2010.04.03 0:06
border.jpg 児童虐待のニュースが全国ニュースのトップになったりしていかにも日本全国に児童虐待という恐ろしげなものがあるという風に報道されていますが、ちなみにフィリピンでは家族内の揉め事から殺人に至るまで外部の何某が全く介入しないという法律になっています。つまり家族間の殺し合いは家族内のことなので国の司法は全く関係ないという立場をとっています。勿論伝統的な道徳としてそういった外部が介入しないという法律を作っているわけですが、逆にアメリカでは夫婦喧嘩で夫が妻をひっぱたいたら「傷害」になります。家族間、夫婦間において司法が完全に介入することができます。こういった家族という不思議な社会単位に対して国家の司法がどういう立場で介入しどういう立場で見過ごすのかということに非常に曖昧なのが日本です。父親にぶっ飛ばされたからといって子供が司法に訴えるようなことはありませんし、まして「この裁判は勝てる!」と意気込んで弁護するような弁護士もあまりいません。
 殺人や傷害といったいわゆる犯罪に対してどういった態度をとるのかという法律の立場は非常に難しいものがあると思いますが、そういった殺人と傷害に対しては実に考え深いボーダーが存在します。例えば以下のような感じ。
  1. ある女性がアカの他人をナイフで刺す。(間違いなく犯罪)
  2. ある女性が友人をナイフで刺す。(事情によりけりだけど、間違いなく犯罪)
  3. ある女性が婚約中のボーイフレンドをナイフで刺す。(よっぽど腹がたったんでしょうけど、間違いなく犯罪)
  4. ある女性が夫をナイフで刺す。(夫婦喧嘩もほどほどにして...というところですが、これもたぶん犯罪)
  5. ある女性が自分の子供をナイフで刺して殺害。(事情はともかく、犯罪でしょうね。)
  6. ある女性が生まれたばかりの子供を刺して殺害。(これも犯罪でしょう。)
  7. ある女性がお腹にいる妊娠10ヶ月の子供に対して自分の腹を刺して殺害。子は死んだけど自分は助かってしまった。(?)
  8. ある女性が望まぬ妊娠のため、自分の腹をナイフで刺して自殺。(自殺なんだから犯罪にはならないし、お腹の子供もかわいそうだけど被害者になれず。)
  9. ある女性が自分の首をナイフで切って自殺。(犯罪にはなりませんし、死んでしまったので罪を問えない。)
  10. ある女性がナイフで自分の体を切り刻んで自傷。(勝手にやってください...という感じで。)
 7番目辺りになると誰が加害者で誰が被害者なのか曖昧になってくるわけです。日本の現在の法律では生まれた子供(へその緒が切れた子供)に対しては自立した一人の人間として認めますが腹にいる子供を殺害となると殺人かどうかはかなり曖昧になります。しかしアメリカでは宗教上の観念から堕胎は完全に犯罪の領域に入っている州が多いし、まして妊娠10ヶ月ともなると殆ど一人の人間と認めるというような感覚があるんじゃないかと思います。上記の例では各国や地方によってのボーダーの決め方が実に様々なわけです。上記の例に女性を主人公にしたのはいわゆる家族という概念の核の部分として女性は社会的に不思議な役割を果たしているからです。というのもフィリピンの道徳や法律の成り立ち方、つまり家族内での揉め事に外部が介入しないのは7番めの例のように家族が社会の最小単位のまとまりとして扱うからです。我々は外国にいって自分の腎臓を売るということは犯罪にはなりませんが、フィリピンも家族という一つの塊の中での淘汰や排除ということに関しては我々が内臓を売るとか自分自身を傷つけるというような意味合いとほぼ同義として考えているということになると思います。
 よくいわれる善悪のボーダーや普通と異常のボーダーなども殆ど同様にただ単にその国、その地方、その社会、そのグループ、その個人によって単に恣意的に引かれたただの線であるということが言えると思うんです。それは実に恣意的で科学的根拠もなければ、民主主義的な根拠もない。何となくそのラインが引かれているだけなのです。
 日本ではマリファナを吸うことに関しては重罪を課します。しかしタバコを吸うことに関しては寛大です。しかしオランダをはじめヨーロッパ諸国ではマリファナの吸引は重罪どころか犯罪にすらなりません。街角ではマリファナ屋さん(Cafee Shop)が立ち並んでいて肉や魚を買うようにマリファナをお買い求めできます。日本のマリファナに関する重罪とオランダのマリファナに関する開放性はどちらもあまり根拠がない。いろいろな識者らしき人がいろんなことを言っていますが、堕胎が犯罪かそうではないかという問題と同様その犯罪姓云々に関わるボーダーの引き方にはきちんとした根拠がないわけです。
 ではいったいそのボーダーはどんな風に引かれて、時代とともにどんな風に移り変わるのだろうか...ということを考え出したらキリがないわけですが、少なくともそのボーダーラインの付近のお話は非常におもしろい...ということは言えると思います。私自身が現在そのボーダーラインについて興味深いと思っている対象でさえも、
  • 児童虐待と家庭教育
  • マリファナとタバコ(その他ドラッグや酒の問題)
  • 妊娠中絶の問題
  • 心理的な圧迫と自殺の問題
  • 銃の問題
  • 監視とプライバシーの問題
とたくさんあります。いずれにしろその境界線に近づけば近づくほど話がおもしろくなってくるし危険な匂いがしてくるわけです。司法試験が非常に難しい国家試験といわれているのは常にこのボーダーラインについて考えることが強いられる技術的な職業の資格であるということと、芸術家が尊敬すべき仕事であるというのもそのモラルと破壊の極めて危ういボーダーラインの上で表現を行っているということであるのだと思います。

border2.jpg 現在教育の現場では「発達障害」と言われている子供をどのように取り扱うかという問題があります。教師や親がその子供の発達障害に気がつかずに叱ったり怒ったりを繰り返すうちに不登校や異常行動をはじめるというわけなんですが...、よくもまあ、「教師や親がその子供の発達障害に気がつかずに叱ったり怒ったりを繰り返すうちに不登校や異常行動をはじめる」などという台詞をおおっぴらにさも正しげに、如何にももっともらしく言うもんだと思いませんか?実際は上記の問題と同様にただのボーダーラインの引き方そのものの恣意性がその原因であって、教師や親が一生気がつかなったら「発達障害ではない」なんていうとんちんかんなことになってしまう異常な問題ですよ。そのような問題の上に立つと逆に高機能自閉症の天才性とか発達障害の子供の興味の対象に対する異常な記憶力とか...かなりおかしな議論になってくる。もっとはっきり言ってしまえば発達障害があまりにもはっきりしていて殆ど人間の社会では人間として役に立たないほどの障害を持っている子供もいるわけでして、どこかの専門家だか識者の方が勝手に線を引いて、「ここから上は障害ではありませんよ。ここから下が障害です。」なんていうことをやり始めてまた教育の現場の人間もバカだからそういうことみんなで信じちゃうわけですよ。
 ちなみに私の子供は3歳になっても全然言葉を喋らず◯◯市の保健所さんから再三「再検診」を受けるようにと勧告されましたが、面倒なので無視しました。発達障害の疑いがあるのだそうで。現在4歳ですが、未だに口下手でおかしな言動をしておりますが、障害者で結構!という感じでおります。生まれながらにして世界で一番おもしろいボーダーの上に乗っかって生きているというのはかなりいいことじゃないんですかね...。
 







プロフィール



  • Name :: 山上オサム ♂(39)
  • Hobby :: 武術
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